街のゲーテくん

【連載:北海道・富良野暮らし】第2回:先輩フラニストの”ナマの声”(5)「野良窯」大槻恭敬さん・みどりさんご夫婦

「野良窯」大槻恭敬さん・みどりさんご夫婦

こんにちは。オダジーです。

オダジー
富良野で生まれ育ち、東京での8年間の生活を経て、Uターン。30歳のときにオフィスフラノを設立し、レストランと不動産業を営んでいます。移住先”富良野”の魅力を発信!
オダジー

今回オダジーがご紹介するのは、野良窯(のらがま)の大槻恭敬さん、みどりさんご夫婦。野良窯の活動は多彩で、恭敬さんは陶芸家として作品を制作する傍ら、一般の方を対象に「陶芸体験」を行っています。みどりさんは「ギャラリーのら」「カフェ・ノラ」を運営しています。

大槻 恭敬さん(48歳)
1967年 北海道古平町に生まれる。2歳から高校卒業までを池田町で育ち、札幌市にて大学・社会人生活を送る。2000年 美瑛町・炎創窯にて、アメリカ人陶芸家コーミエー・クレイトンポールJr.氏に師事。2005年4月 ギャラリー・カフェ・体験工房を併設した、「野良窯」を開窯。
大槻 恭敬さん
大槻 みどりさん(44歳)
「ギャラリーのら」「カフェ・ノラ」を運営。
ギャラリーのら:玉ねぎ畑の真ん中にある、築60年の古民家を改装したギャラリー。
カフェ・ノラ:ギャラリー併設の小さなカフェ。土・日・月曜日は手作りパンも販売。ときどきライブも開催。
大槻 みどりさん

急に思い立った陶芸の道。「自分がやりたい」という思いを大切に、独立。

急に思い立った陶芸の道。「自分がやりたい」という思いを大切に、独立。

――富良野で野良窯をオープンするまでのことをお聞かせ下さい。

もともと2人とも札幌で車関係の雑誌社に勤めていました。その後、主人は美瑛町美馬牛の炎創窯(えんそうがま)にアシスタントとして入り、私は旅行関係の雑誌の仕事で、富良野・美瑛エリアを担当することになりました。

炎創窯は、今はアメリカに戻って不在ですが、コーミエー・クレイトンポールJr.さんというアメリカ人陶芸家の窯です。33歳のとき雑誌社を辞め、すぐに炎創窯に入りました。
陶芸をやったことはありませんでしたが、急に「陶芸を勉強したい!」と思い立ち、会社を辞めた当初は旅でもしながら陶芸を学ばせてくれるところを探そうと思っていました。しかし調べているうちに、そんなに甘いものではないということを実感……。こちらがお金を払う教室ならまだしも、突然訪ねて行っても誰も相手にしてくれませんでした。 そんな時、たまたま炎創窯がアシスタントを募集しているとの情報が入り、応募すると採用に。ものすごくタイミングが良かったと思います。

まだ結婚はしていませんでしたが、追いかけるような形で私も会社を辞め、その年に結婚しました。

その後4年半、そこで勉強を続けました。その間は炎創窯の敷地内にある建物に住まわせてもらっていました。4年半のうち最後の1年は先生がアメリカに行ってしまい、炎創窯を1人で任されていました。先生の貯めていた作品を展示販売したり、窯自体を維持する仕事をしていました。
先生の作品はよく売れていました。それを見ていたからか、自分も始めればいけるだろうという気持ちがありました。実際に始めると、そんなことはありませんでしたが……。
居心地も良く、そのまま炎創窯にいる選択肢もありました。ただ、「自分がやりたい」という思いがだんだん薄れていくような気がして、独立を決めました。

野良窯の門構え

――独立したとき、なぜ富良野を選ばれたのですか?

休みがほとんどなかったため、あまり遠くまで探しにいけなかったというのが、正直なところです。また、妻が美瑛に住みながら雑誌社の仕事をしていたので、私が独立しても仕事を続けられる美瑛か富良野あたりで、もともと作品を展示するスペースと住居と、将来的にはカフェなどもやりたいと思っていたので、その計画に沿って探しました。
新築を建てるのも難しく、お金をかけないで生活できるような物件を探し、はじめから「古民家」に狙いを定めていました。住宅地図を見て、名前の入っていない空白のところを片っ端からまわりました。今は分かりませんが、当時は「持ち主は誰か」など、近所の方が教えてくれることもありました。

――私のように、ずっと富良野に住んでいるものから見て、古民家利用は新しい文化の息吹みたいなものを感じました。いま、古民家ブームのようなものがありますが、その影響はありましたか?

ブームの影響はなく、経済的な理由が大きかったです。
自分たちも手伝うからと、安価で大工工事をしてくれる人を探していたところ、運良く知人が紹介してくれました。古い家に新しい材料でリフォームしても違和感があるので、古い材料を使ってリフォームしたいと考えていた私たちのイメージに合う大工さんでした。
私はまだ炎創窯で働いていたので、実際には妻が毎日手伝っていました。民家はあまり広くはなかったので中に窯は作らず、敷地内にあるD型ハウスに窯を作りました。
この建物は、たまたまこの通りを車で走っている時に見つけました。何かおもしろい建物があったと戻ってみたら、ガランとした廃屋がありました。直感的に佇まいがおもしろいな、と思ったんです。妻はお化け屋敷みたいで嫌だったようですが。

私たちは、「これで良いんだ」の目安かも!?

ご夫婦

――野良窯には多士済々な人たちが関わっているように感じています。

2004年の夏から野良窯が開店する2005年4月まで大工工事をしている間、「何かやってるな」と興味を持った人たちがよく訪ねてきました。「材料あるから使って」と持ってきてくれたり、ヒマな若者が手伝わせてほしいと壁を塗ってくれたり。富良野に移住した当時は知り合いが1人もいなかったのに、そんな形でだんだん輪が広がっていきました。

作業していると知らない人がいるんです。大工さんは私の知り合いだと思っていて、私は大工さんの知り合いだと思っていたのですが、実際は2人とも知らない人だった、なんてこともありました。

――「富良野で何かやりたいのなら、まず野良窯に行け」という感じで、色々な人が訪ねてきますよね。

「こいつらができたんだから、私たちもできる」みたいな感覚があるのかもしれません(笑)。「これで良いんだ」の目安になっているのかも。それは、私たちがあんまり他人と比較しないからだと思っています。「あそこよりも立派な建物を建てなくちゃいけない」「あそこよりもお客さんを沢山呼ばなければいけない」という感覚はあまりありません。「地域一番になりたい」とかもないし、有名になりたいとも思わない。

富良野は色々なチャンスを与えてくれる街。

カフェ内木のテーブル

――お2人とも札幌のご出身ですが、富良野や美瑛は同じ北海道でも違いがありますか?

前に住んでいた美瑛町美馬牛ではカルチャーショックが大きかったです。美馬牛は人間関係が本当に濃かったように感じます。今住んでいる富良野市下五区は都会ですよ、大都会!
今年、東京で作品展をやりましたが、「富良野」の名前のすごさを実感しました。たまたま通りかかった人も多く話していってくれたのですが、みんな「富良野は行ったことはないけど、一度は行ってみたい!」と言ってくれました。「富良野」の認知度を再確認しましたね。

「富良野」のネームバリューのおかげで暮らしていけていると思っています。これがマイナーな街だったら成り立たない、富良野だから食べさせてもらっているなと思います。

――富良野に移住してきて、生活は変わりましたか?

移住した時から「もし食べていけなくても、2人でアルバイトすれば良い」という考えはずっとありました。富良野は声をかけてくれる人も多く、「今、ちょっと手伝ってくれない?」なんてことがよくあります。
忙しい時は行けませんが、今でも時間がある時は富良野スキー場にアルバイトに行くこともあります。そこで新しい仲間ができたりスキーも楽しめたり。
夏には農家の畑仕事を手伝ううちに野菜作りが自分の趣味になり、今は自ら楽しんで野菜を作っています。富良野は色々なチャンスを与えてくれる街だと思います。

――みどりさんが運営する、カフェ・ノラについて教えてください。

カフェ・ノラ

地元の食材を使った料理を提供しています。主人が畑で作る野菜を主に使用し、自分たちで作れないものは近くの農家さんにお願いしています。夏だけの営業なので、スーパーなどで調達しなくてもほとんど間に合っています。

カフェ・ノラ

――最後に、富良野に移住を考えている若い人にアドバイスをお願いします。

手伝いに来てくれる若い女の子から「カフェをやりたい」「雑貨のお店をやりたい」などの相談を多く受けます。もちろんどんどんやってみた方が良いと思います。資金がないとお店は始められないのではないかというイメージが強いようですが、そんなことはなく、自分の家の一部屋からお金をかけずにスタートし、お店をまずやってみる、それを少しずつ大きくしていけば良いと思います。
大切なことは、まずやってみるということ。
また、それだけで生活しようと思わない方が良いでしょう。時間がある時は、積極的にアルバイトなどをしてみることをお勧めします。お金ももらえるし新しい人脈も得られる、プラスな効果が多いと思います。
目指したい本業以外にも“脇道”がないと、広がっていかないような気がします。

ご夫婦

オダジーの取材後記

野良窯のお2人のお話をお聞きしていると、「成功」の意味を考えさせられます。お金をたくさん儲けたり、大きな建物を建てたりするのも立派ですが、自分たちのスタイルを続けることが、1つの成功のような気がします。
そのためには、より柔軟に色々なことを考え行動しなければなりません。「時間のある時はアルバイトする」という恭敬さんは、ただ単にお金のためだけではなく、人脈を広げられる、と前向きに捉えています。
古民家もD型ハウスの窯も、お2人の選んだスタイルに見えるけれど、それは単に経済的な理由からだと仰います。しかし例えそうだったとしても、お2人のセンスや哲学がなければこのような「成功」には繋がらなかったと思うわけです。
富良野移住をお考えの方は、是非一度野良窯さんを訪ねてみてはいかがでしょうか。きっと、新しいヒントがたくさん得られると思います。

取材先
野良窯

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