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人生で93回!?驚くべき「引っ越し魔」な偉人たち

  • 2023年06月27日更新

引っ越しは人生においてビッグイベントのひとつです。進学や転勤など、やむを得ず引っ越さなくてはいけない場合もありますが、ふと「引っ越したい」と思うこともあるのではないでしょうか。皆さんは、どのような時に引っ越したいと思いますか?「環境を変えたい」「恋人ができた・別れた」「惹かれる街がある」「夜中にドアをノックされる」「『偽りの隣人』がいる」……。

日本人は生涯において平均4~6回引っ越しをすると言われています。例えば80歳まで生きたとして、2年契約更新のたびに住処を変えたとしても、引っ越し回数は40回程度です。しかし、その回数をはるかに上回る「引っ越し魔」が存在します。

1日に3回引っ越し!?浮世絵師・葛飾北斎の場合

浮世絵師・葛飾北斎の場合

葛飾北斎(1760年~1849年)

江戸時代後期を代表する浮世絵師。教科書にも結構載っている人。1999年には、アメリカ合衆国の雑誌『ライフ』の企画「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」で、日本人として唯一86位にランクイン。門人の数は、孫弟子も含めて200人近いと言われる。2度の結婚を経験、子どもはそれぞれの妻との間に男の子1人と女の子が2人ずつ(合計2男4女)。
代表作:『冨嶽三十六景』、『北斎漫画』など

あの富士山や波の絵で知られる葛飾北斎は、90年の人生のなかで93回の引っ越しを繰り返したそうです。なんと1日に3回引っ越したことも。75歳の時には引っ越し回数はすでに56回に達していたそうです。

現在の墨田区亀沢の北斎通り付近に生まれた北斎の引っ越し先はほとんど近場であり、生涯墨田区に住み続けたそう。北斎は当時の芸術家には珍しく酒もタバコもやらず、一方で金銭には無頓着で行儀作法も好まない、良くも悪くも「芸術だけ」の人だったみたいです。

北斎は出戻ってきた娘のお栄と2人暮らし。なぜ引っ越しを繰り返したかと言うと、2人は絵を描くことのみに集中し、部屋が汚くなるたびに掃除する代わりに引っ越していたからだそう。他にも「借金取りから逃げるため」や「方位学的なものに凝っていたため」など様々な説があります。

では、そんな引っ越し魔の最後の引っ越しとなった93回目、何があったのでしょうか。

北斎は93回目の引っ越しの際、以前暮らしていた借家に再度入居したそう。しかし、その部屋は引き払った時と何も変わらない散らかったままの状態だったため、これを境に転居生活を終わりにし、引っ越し魔を卒業することを決意。

旅行から帰ってきて自室に戻ると、準備中に引っ張り出した衣類や化粧品が出発前のまま散らかりっぱなし、一気に現実に引き戻される……みたいな感じでしょうか。違うか。

隣人トラブル多発……作曲家・ベートーヴェンの場合

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770年~1827年)

音楽史上極めて重要なドイツの作曲家であり、日本では「楽聖」とも呼ばれる。教科書に載っている人。難聴の音楽家。あまりにも有名。
代表作:『エリーゼのために』『運命』

ベートーヴェンの場合

てれてれてれてれて~てれれれ~てれれれ~ベートーヴェンは138曲もの名作を生み出した偉大な作曲家。天才は気難しそう、常人とは相容れなさそう、などのイメージはありませんか。ベートーヴェンも例に漏れず大家や隣人とのトラブルが絶えなかったようです。

22歳目前に生まれ育ったボンから音楽の都・ウィーンに引っ越して以来、56歳で生涯を終えるまで79回にも及ぶ引っ越しを繰り返しました。平均して1年に2回以上引っ越していたことになります。

夏の間はハイリゲンシュタットなど郊外の避暑地で過ごし、夏の終わりとともにウィーン市街地に戻ってきていたようです。引っ越しの理由としては、「作品が盗作されることを恐れて」「隣人トラブル」「掃除が嫌いだったから」などが挙げられています。

北斎に続き、どれだけ「部屋の掃除」が嫌いなのでしょうか……「使い捨てホーム」、うらやましいです。

幼少期から続く、転居のエリート!?作家・江戸川乱歩の場合

作家・江戸川乱歩の場合

江戸川乱歩【本名:平井太郎】(1894年~1965年)

大正から昭和にかけて活躍した、特に推理小説が有名な作家。コナン君の苗字の人。さらにペンネーム「江戸川乱歩」はアメリカの作家、エドガー・アラン・ポーに由来。クモ膜下出血のため70歳でなくなった。日本推理作家協会初代理事長。
代表作:『明智小五郎』『怪人二十面相』『一寸法師』

明智小五郎と言えば北大路欣也さんですか?陣内孝則さんですか?それともSMAPの稲垣吾郎さんですか?数々の名作をこの世に残してきた推理小説家・江戸川乱歩も引っ越し魔のひとりです。しかし、上記2人とは少し事情が違うみたい?

三重県名張町に生まれた乱歩は、父親の転勤に伴い2歳で初めての引っ越しを経験。名張町から亀山町へ移った翌年には名古屋に引っ越し、その後も親の仕事の都合で何度も転居したそうです。大人になっても点々と引っ越しを繰り返し、生涯の転居回数は46回に及びます。

乱歩が終の棲家に選んだのは、池袋の立教大学に隣接した蔵のある借家でした。1934年に移り住み1952年にその家を買い取りました。計31年間、70歳で亡くなるまで住み続けました。今も立教大学江戸川乱歩記念 大衆文化研究センターとして公開されています。

今と比べると、昔は引っ越しの際に必要となる手続きももっと簡易的だったでしょう。とは言っても、平均して2年以上同じ家に住んでいないというのはやはり驚きです。今回紹介した3人は皆、モノづくりの偉人たちです。環境やそれに伴う気持ちの変化が作品に与える影響は、大きかったのかもしれません。

この記事を書いた人
編集部 池田

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