• 2015/09/01
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大阪市の交通の要を抱える副都心・大阪市淀川区

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大阪市淀川区は、市内24区のうちのひとつで北に位置しています。全国各地を結ぶ交通の要となる新大阪駅を中心として、商業や産業、かつての工場跡地における居住地帯の開発などを通し、副都心として目覚ましい発展をとげてきました。ここでは大阪市淀川区の魅力と特徴をご紹介していきます。

大阪市淀川区は市を構成している24区のうちのひとつで、市内北部に位置しています。
市内の北部を流れる淀川の北岸、それから神崎川の南岸に挟まれており、南は北区、北は吹田、豊中、兵庫県尼崎の3市、東は東淀川区、西は西淀川区にそれぞれ隣接しています。
面積12.6km²で、人口は17万人を超えています。
淀川区では、大規模な区画整理を通した近代的な都市づくりが行われてきたことで、近年めざましく発展してきています。
かつては、淀川の渡しや能勢街道など、主要交通路が複数通る交通の要衝として栄えてきましたが、近代に入ってからは多くの鉄道が通過するようになり、都心部や近畿各地と直接結ばれているほか、1964年の東海道新幹線開通に伴う新大阪駅の開設や、地下鉄御堂筋線の延伸、山陽新幹線の開通によって関東首都圏や中部、中国、九州などの各地とも高速交通で直接結ばれ、行き来が容易になりました。
区の産業については、江戸時代には農業が中心で、ときおり中津川(いまの淀川)の洪水に悩まされながら肥沃な農業地域として機能し、地域の農民が中島大水道を自力で開いたと言います。
江戸時代の有名な寛永通貨・加島銭は、伝統的に工芸の盛んな土地であった加島、特に加島4丁目の香具波志神社門前から神崎川堤防までの地域を、銭座の中心地として積極的に生産が行われ、酒は灘・銭は加島と言われるほど良質な寛永通貨(銅銭や鉄銭)を世に流していました。
現在、卸・小売業や飲食店を中心とした商業活動が主となっていますが、機械・器具製造業や金属製品製造業を中心とした工業活動も活発で、商工業活動とも常に大阪市内でも上位を占める区となっています。
明治以降は淀川の改良で区画整理が進められ、また淀川を渡る橋も複数架けられました。
区内には全体的に密集住宅地が広がっていて、近年は神崎川沿いを撤退した工場群の跡地、JR線加島駅や阪急線三国駅あたりなどで大規模なマンションが開発されるなど、居住エリアが広げられています。
のちに箕面有馬電気軌道(いまの阪急宝塚線)が開業すると、沿線では住宅地開発が進み、ターミナル駅となる十三駅の一帯は区内でも随一の繁華街へと変貌していきました。
第二次世界大戦後、東海道新幹線の開業に伴って新大阪駅が設置されましたが、東京オリンピックが開催された1964年以後、この地域が田園地帯から激変を始めました。
地下鉄の梅田から新大阪駅間と各新幹線が相次いで開通し、いまの新大阪駅が開業となりました。
さらに地下鉄御堂筋線の延長や万国博覧会の開催があり、新大阪駅は全国各地から多くの旅客を迎える大阪の玄関口に成長し、現在は高層ビルが林立しておりベンチャー企業などが集積する副都心として認定されるまでに発展を遂げました。

大阪市淀川区にある歴史的史跡

このように、新大阪駅や淀川など大阪市内でも大きな名物を持ち合わせる淀川区には、歴史的名所や史跡も複数所在しています別名・中嶋城とも呼ばれる城で、いまも謎が多く残されており詳細は不明な点が多い堀城は、推定地として十三公園が認定されています。また、香具波志神社はおよそ1100年以上もの歴史を持つ神社で、中世から江戸時代は加島稲荷とも呼ばれていました。神社境内にある「香文館」では、加島銭座の記録や俳人松木淡淡や上田秋成の遺墨など、すばらしい社宝が保存されており、楠木正儀駒つなぎ楠、三好長慶奉納鳥居沓石なども所在しています。

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ライター/ヨムーノ編集部
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