こいのぼりの由来はなんだ?

  • 2021年03月22日更新

皆さんはこいのぼりの由来を知っていますか? 身近な風習ですが、由来までは知らないという方が多いのではないでしょうか。今回はこいのぼりの由来をご紹介します。これを知れば、さっそくしまっていたこいのぼりを飾りたくなるかもしれませんよ。

端午の節句の由来を知ろう

5月といえば、真っ青な空を背景に、風にたなびくこいのぼりを連想する方も少なくないと思います。こいのぼりは国民の祝日である5月5日の「こどもの日」に合わせてあげるものです。この日は昔から、男の子の成長を祝う端午の節句(たんごのせっく)とも呼ばれてきました。端午とは、月の初めの午(うま)の日をあらわす言葉です。月を十二支であらわすと5月が午月になり、端午の午(ご)と数字の5(ご)が同じ読み方であることから、5月5日となりました。端午の節句を祝う習慣は中国から入ってきたもので、もともとは厄払いの行事だったようです。中国では旧暦の5月に病気がはやることが多く、強い香りのする菖蒲を門に掲げたり、菖蒲を漬けたお酒を飲んだりすることで厄を払っていました。この風習が日本に入ってくると、武士をあらわす「尚武(しょうぶ)」と同じ読み方であり、菖蒲の葉がとがった様子が剣に似ていることから、男の子の行事として定着したようです。この読み方は勝負にも通じるので、イメージとしては頷けるのではないでしょうか。端午の節句が一般的に定着したのは、江戸時代になってからです。徳川幕府に男子が生まれると、端午の節句に成長を祝うようになったため、武家の間で同じように子どもの成長を祝うようになりました。端午の節句は、後継ぎである男の子に「病気にかかることなく、勇ましく元気に育って欲しい」という、親の切なる願いがこもった行事でした。現代では男の子も女の子も平等に育てられる時代になりましたが、親が子どもに願うことは、いつの時代も変わらないようです。

なぜこいのぼりをあげるの?

室町時代の末期、戦国武将たちが戦闘中に掲げる「旗指物(はたさしもの)」を、端午の節句に虫干しを兼ねて飾るという習慣がありました。やがて庶民の中でも経済的に裕福な人たちが、武家の風習をまねて端午の節句にのぼりを立てるようになっていきます。これがこいのぼりのルーツです。旗指物には家紋だけが描かれていましたが、庶民は競って武者や金太郎など、縁起がよく鮮やかな絵を描きました。これらは旗指物とは区別して、「武者のぼり」「絵のぼり」「節句のぼり」などと呼ばれます。江戸時代の中期には、立身出世のシンボルとして武者のぼりによく描かれていた「鯉の滝登り」の図案をもとに、「鯉の小旗(まねき)」というのぼりの付属品がつくられました。中国では、鯉は滝を登りきると、天に昇って龍になるという言い伝えがあったそうです。こいのぼりは、この小旗が独立して大型化したもの。立体的な鯉の形が主流となったのは明治時代以降のことで、比較的最近です。こいのぼりは、子どもの立身出世を願う親の気持ちが込められたものだったのです。

近年のこいのぼり事情

「屋根より高いこいのぼり」という歌詞はすっかりおなじみですが、近年の住宅事情の中でこいのぼりの様子も様変わりしています。マンションや都会の住宅では竿を立てる庭がなく、今や田舎にいかなければ、なかなか「屋根より高いこいのぼり」を目にすることはできません。そこで、最近では武者人形や兜と同じように、床の間などに飾れる室内用のこいのぼりが人気を集めています。どうせ小型のものを飾るのなら、子どもと一緒に工作するのも楽しいかもしれません。子どもの日をきっかけに、親子の会話が増えるかもしれませんね。

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