87年の歴史に幕、最後の同潤会アパート「上野下」が解体へ
日本の集合住宅の先駆け的存在として知られる「同潤会アパート」。最後の「上野下アパート」の解体によせて、「同潤会」と「集合住宅」の歴史を辿ります。

「関東大震災」の発生と「同潤会」の誕生が日本の集合住宅を変えた
日本の近代集合住宅の先駆け的存在として知られる「同潤会アパート」。20世紀初頭に次々と建設され、その先進性が話題となったこのアパートも老朽化による取り壊しが進み、現在では「上野下アパートメント」を残すのみとなりました。そしてその上野下アパートメントも、2013年5月、やはり老朽化のため取り壊されることが決まっています。
ところで、みなさんは同潤会アパートがどのような経緯で建てられ、日本の住宅史にどのような影響を与えたかご存じでしょうか? 今回は、同潤会を中心とした日本の集合住宅の歴史を少しだけ紐解いてみることにしましょう。

同潤会が生まれるきっかけとなったのは、1923年9月1日に発生した「関東大震災」でした。関東大震災では、約190万人が被災、10万棟以上の建物が全壊しました。これに加え、火災によって木造建物が甚大な被害を受け、21万棟が全焼しました。これ以降、「耐火構造の近代住宅を早急に普及させるべきだ」という機運が一気に高まりを見せ始めます。
そうした中、翌年1924年に当時の内務省によって「同潤会」がつくられました。都市計画家や建築家などで構成され、震災後の日本の住宅復興を担う組織として結成された同潤会は、RC造の集合住宅を中心とした「同潤会アパート」を、東京近郊に次々と建設しました。
同潤会アパートは、単なる復興住宅としての役割を超え、日本の集合住宅の概念に新たな価値観をもたらしました。これまでにないシンプルでモダンな外観デザインはもちろんのこと、電気・都市ガス・ダストシュート・水洗トイレ・エレベーターなどを完備し、食堂や売店などの商業施設が併設されたアパートは、人々に全く新しいライフスタイルを提案する、当時としては非常に先進的な集合住宅でした。
こうして同潤会アパートは、その後の日本の集合住宅に大きな影響を与えることとなったのです。


下:現在は使用されていない井戸も残されている。
老朽化による劣化が進み最後の「同潤会アパート」も取り壊しに
かつては16棟あったRC造の同潤会アパートも現在では解体が進み、唯一現存する「同潤会上野下アパート」も、今年の5月に解体されることが決まりました。2009年の「同潤会三ノ輪アパート」の解体から約4年、最後の同潤会アパートがついに地上から姿を消すことになります。
上野下アパートは、1929年の竣工。4階建てで、1~3階は家族向け、4階は中廊下の両側に単身者向けの住戸が連なったかたちとなっています。外観を見ると、4階部分が少しせり出しているのが分かります。これは、この中廊下の幅の分だけ面積を確保したためです。このように、1つの建物内に目的を異にする居住空間が共存し、それをそのまま外観に表したデザインは、当時としては斬新なものでした。
これまで、同潤会アパートの解体が決まるたびに、その歴史的価値の高さから、保存運動が起こることがありました。今回の上野下アパートメントの解体が決まった後も、保存を求める声は多くありましたが、建物の劣化が著しく進んでいることなどから実現には至りませんでした。
しかし、解体されても、同潤会アパートの存在が完全に消え去ってしまうわけではありません。2006年に「表参道ヒルズ」として生まれ変わった「青山アパートメント」の一部には、建築家の安藤忠雄氏によって外観が忠実に再現された「同潤館」が建設されています。また「代官山アパートメント」は、UR都市機構の「集合住宅歴史館」(東京都八王子市)に移設され、その室内が忠実に再現されています。これらを訪れれば、日本の集合住宅の礎となった、同潤会アパートに託した先人達の挑戦と努力の歴史をいつでも感じることができるでしょう。

関連するコンテンツを探す
- 注文住宅の真髄がここに!
建築家の作品事例【注文住宅】を見る - 「匠」のリフォームはやっぱり劇的!
注文住宅パーフェクトガイド - あ!この家、雑誌で見たことあるかも!
建築家の作品事例【人気ランキング】を見る - 工務店やハウスメーカーとは一味違う!
【シリーズ】建築家の間取り
上記の記事は、2013年4月26日現在のものです。掲載情報の著作権は株式会社オウチーノ(以下:弊社)に帰属します。情報内容は保証されるものではありませんので、万一この情報に基づいて被ったいかなる損害についても、弊社および情報提供元は一切の責任を負いません。予めご了承ください。




